パンデミックの社会課題解決に向けた学際研究

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パンデミックの社会課題解決に向けた学際研究

【アーカイブ】コロナとこれからの社会を広く深く考える会 #2

「COVID-19パンデミックから明らかになったグローバル・ヘルス・ガバナンスの課題」
開催日時 2023年2月15日 18:00~20:30
話題提供① 

押谷 仁(東北大学大学院医学系研究科微生物学分野 教授)

 世界保健機関(WHO)は第二次世界大戦後の1948年に発足し、1969年には「病気の国際的な拡散を防ぐための法的拘束力を持った合意」として世界保健規則(IHR)が採択された。しかしこのIHRは新興感染症への対応としては不十分なものであり、改訂作業が終わらないまま、2003年にSARS(重症急性呼吸器感染症)の国際的流行が発生した。WHOは2005年にIHRを改訂し、全ての公衆衛生の脅威に対応できるようにすると共に、国際的な脅威となり得る事態に対しPHEIC(国際的な公衆衛生上の緊急事態)を宣言できるようになった。しかし、今回のCOVID-19パンデミックへの初期対応については、中国に配慮した結果PHEICの宣言が遅れ、WHOの極めて政治的な対応が問題になっている。
 欧米諸国ではCOVID-19に対する初期対応に失敗し、その結果パンデミックに陥ったと考えられている。この失敗の原因として、ヨーロッパのリスク認識の甘さやトランプ政権によるアメリカCDCへの圧力など、欧米の対応には多くの問題がある。にもかかわらず、その欧米がパンデミック条約をはじめとした「パンデミック後の社会」のための議論の中心となっており、そこには自身らの対応の失敗に対する反省が生かされていない。果たしてこのままでパンデミックに強い社会を実現に向け前進することはできるのだろうか。

話題提供② 

植木 俊哉(東北大学理事・副学長 / 法学部 教授)

 今回のCOVID-19パンデミックではWHOに対する多くの批判が見られた。確かにWHOの対応には問題があったが、WHOに限らず国際組織は専門外の立場から過度な神格化、またはバッシングを受けやすいというのもまた事実である。だからこそ、国際組織への冷静で客観的な分析は必要不可欠である。
 そもそもWHOとは国連憲章第57条及び第63条で定められた、保健分野を担う国連の専門機関である。そのため現在「WHO改革」を求める声があるが、果たしてそれは既存の国連の枠組みの中で行う改革なのか、それとも国連の枠を超えた改革なのかが大きな論点となる。
 世界の国々はそれぞれが主権を持つ主権国家であり、その主権国家同士で結ぶ共通のルールが条約である。このルールが存在できる根拠は「参加した国に共通した利益」すなわち「国際公益」の存在である。これは「そのルールが自国の利益にならないならばルールに参加する必要はなく、かつルールに合意しない限りルールに構成されることはない」ことを指しており、多数決で行う国内の立法とは大きく異なるのである。
 以上を踏まえてパンデミックに対するWHOのあり方や国際法規範を考えたとき、既存の国際保健規則(IHR)はWHOが制定する国際組織の二次規則であり、国家間条約ではない。ではパンデミック対応に対する国家間条約を新たに作る場合、「その国際ルールによってすべての国の利益になるのか」がその本質となる。確かに共通のルールにより感染症の蔓延を抑え込むことはどの国にも利益になる。しかしそこには必ず政治的側面が介入し、結果として政治的対立が発生するとそれは国際社会の共通の利益とはいえない。そのためこのようなルール作りは極めて難しく、「だれがどのようなルールを作るのか」が課題となる
 現在、COVID-19パンデミックを踏まえたパンデミックへの対策のあり方を包括的に定めた国家間条約としての「パンデミック条約」の交渉、起草が進んでおり、2023年2月には”Zero draft”が公表された。ここでの大きなポイントは、この条約が起草、採択されても批准しない限りその国には強制力が発生しないという点である。特にグローバルサウスと先進国は利害が対立するため、双方がこの条約に批准し有効なパンデック対策を実現するためには、双方の立場からの利益のバランス、すなわち妥協点が求められる。これはパンデミック条約に特異的な問題ではなく、すべての国家間ルールに当てはまる話である。双方が強硬な姿勢をとる中で、適切な妥協点を見出すために今、日本の立ち位置が問われている。

話題提供③ 

武見 綾子(東京大学先端科学技術センター グローバル合意形成政策分野 准教授)

 COVID-19パンデミックは、国境を越える大規模感染症の対応には国際的な制度や枠組みが必要であることを国際社会に突きつけた。明らかになった数々の課題や問題点を踏まえ、既存の枠組みでは対処できなかった問題に適切にアプローチし調整を可能とする新たなメカニズムとして、様々な検討が進んでいる。例えば、「パンデミック条約」(仮称、以下パンデミック条約)に関する検討はその一例である。
 パンデミック条約は、COVID-19パンデミックを踏まえ、包括的な文脈でパンデミックへの対策のあり方を定めたものである。IHRが発生した感染症の情報の共有や直後の対応を主に取り扱ったものであるのに対して、このパンデミック条約はより幅広い分野にわたる視点からの対応を志向しているとされる。特に資材や情報へのアクセスやベネフィットシェアリングシステム、そしてワクチンや医薬品などに関する知的財産権保護義務の免除についての内容につき、具体的な提案が模索されている。
 しかしその一方で、この「条約」には多くの疑義や限界点も指摘されてきた。まず国家間条約という性質上、義務と履行確保について内在的にトレードオフにならざるを得ない部分があり、(基本的にはIHRの対象分野とはいえ、当初はパンデミック条約にも期待された)早期探知、早期介入など、インシデント発生後に本質的に課題とされたテーマへのアプローチは困難である。また、グローバルな課題を取り扱う性質と相まって、パンデミック対応にかかわる先進国の「反省点」まで十分に切り込むことはできない内容になってしまう可能性が高い。加えて国際的な協力を要請する分野においてはより一般的に協力へのインセンティブが不十分ではないかという指摘も存在する。今回のCOVID-19パンデミックにおける中国の初期対応には厳しい見方が多く、単に新しい「法律」や枠組みを作成するだけでは問題が解決しないのは明らかである。そのため新条約ばかりに頼るのではなく、サーベイランスや政治的プッシュ、複数のチャンネルによる複数の情報源からの問題の特定など、よりプラクティカルな措置と並行したアプローチが必要である。
 現在COVID-19パンデミックを経てグローバル・ヘルス・ガバナンスの形態は変化している。過去、特に感染症対応の文脈では前提とされがちであった「先進国が途上国を支える」という単純な構造は過去のものとなり、個々のアクターが各自のインセンティブを背景に独自のネットワークを強化するというより複雑な構造がより顕著なものとなっている。アクターの増加により国際的な対応のチャンネルが極めて多様化していることもこの構造変化と密接にかかわっている。例えば資金的な規模という視点からは言えばWHOの存在感はかなり相対化されていることも付言したい。
こういった文脈においては、WHOが中心的な役割を演じつつあるパンデミック条約が最も有効な手立てであるかについては、特に初期段階には意見の相違があったところである。当初ヨーロッパを中心とした各国がパンデミック条約を支持する一方、アメリカはWHOの役割の相対化や専門性の射程、権能上の課題を指摘した上でファンドと紐付けたガバナンス体の創設を主張しており、これに対しては中国・ロシアからの反発が見られた。これらの意見の相違には地政学的な背景の影響も強く、現在はより融和的な対策が取られようとしているものの、内在的には今後フラグメンテーションを起こす可能性も否定できない。このようなギャップの緩和にはG20主導のイニシアチブなど現在いくつかの事例で試みられているようにエビデンスに基づく政策決定プロセスやその情報共有が有効である可能性もあるが、その効果は未知数である部分もあり、今後の継続的な努力が必要である。
 今後のアクションポイントとして、多方面からのサーベイランスの強化が必要である一方、パンデミックが終わった後の体制強化と次なるパンデミックに備えた危機管理体制の継続が重要である。また、グローバルヘルスという限られた分野においてもその主導的な役割を果たすのがWHOのみに限定されない複雑な構図を呈する中で、他国への忖度や自国の体裁にとらわれず冷静に全体像を把握した上で効果的なアプローチを模索する必要がある。こういった点において日本は比較的強みがあると考えられることころ、これからの日本の立ち位置の明確化、そして日本としての実効的なアプローチが注目される。

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