パンデミックの社会課題解決に向けた学際研究

English

パンデミックの社会課題解決に向けた学際研究

【アーカイブ】コロナとこれからの社会を広く深く考える会 #3

「コロナの死をどう捉えるか」
開催日時 2023年3月8日(水) 18:00~20:30
話題提供① 「COVID-19の死亡者の現状と課題」

押谷 仁(東北大学大学院医学系研究科微生物学分野 教授)

 現在国内ではCOVID-19対策の緩和が進み、政府も5月8日からCOVID-19の位置づけを感染症法上の5類へ移行する方針である。しかし、実はCOVID-19による死者の問題は深刻化している。COVID-19による死亡者が増加しているにもかかわらず、政府レベルでの対策や人々の意識は相反している。
 かつての第1波では、COVID-19に対する治療法が確立されていなかったため致死率が高く、900人近くが死亡した。その後ワクチン接種率や弱毒化したオミクロン株の登場により致死率自体は下がった。しかしオミクロン株の登場により感染者が大きく増加し、それによって第1波を遥かに超える死亡者が発生している。実際2023年1月13日と1月14日のたった2日間で983人がCOVID-19によって死亡している。
 これまで、国内でのCOVID-19による死亡者は1日あたりおよそ100人を超えると国民の意識の変化や政府の対応に伴い減少に転じていた。しかしオミクロン株の流行以降、1日当たりの死亡者が300人や500人であっても人の行動が大きく変わることはない。WHOのテドロス・アダノム事務局長はCOVID-19による死亡者について、”We must remember that these are people, not numbers.”と述べているが、その’number’にさえ関心を持っていないのが今の日本であり、それでいいのであろうか。

話題提供① 「パンデミックの死者をわたしたちはいかに受け止めてきたか」

木村 敏明(東北大学大学院文学研究科 宗教学分野 教授)

 現在みられる個人の自由の制限や規制と経済を回すための規制緩和の対立を倫理的に捉えたとき、制限の緩和による究極の被不利益者は死者であり、死者は社会を回すことによる利益を得られないという問題がある。果たして社会的防御態勢の緩和によって確実に増えるだろう死者の存在を正当化することができるだろうか。それとも「死人に口なし」として無視するべきなのだろうか。
 死者と現在生きる人とのかかわりについて、エマニュエル・レヴィナスはアウシュビッツ後の倫理として「死者に対する生者の責任」を主張しており、過去に生きた人々について考慮せずに今の社会のあり方を議論することの危険性を説いた。これに照らし合わせれば、制限緩和によって亡くなった人をどう考えるか、ということ抜きに社会のあり方を議論することはできないといえるだろう。
 古来日本では伝染病の原因は何らかの神であるとされ、それを信仰する文化があった。しかしこの神とは単に病気を起こす神だけではなく、治す神や死者をも含んでいたのであり、この神を信仰するという行為は死者供養の意味も孕んだ複合的な性格を持っていたのである。ここにも、死者と現在生きる人とのかかわりが見て取れる。
そもそも人は、自己や他者、世界を言語などの象徴によって認知する。そのような人類は、死を特別視するという特別視し生物学的な死とは別に、死を文化的な形で表現するという大きな特徴を持つ。そして死を社会に認知し、時間をかけて受け入れるプロセスとして葬送文化を発達させてきたのである。
 しかし、その葬送文化が次第にやせ細っているという指摘は前々から存在した。歴史家フィリップ・アリエスの言葉を使うと死が「社会から忌まわしく隠蔽されるもの」になりつつあり、「醜くて隠される」ものとなっているのである。その理由として死の私事化のみならず、医療化や衛生化により死を目にする機会の減少、社会的な暗黙の了解ともいえる「コード」の消滅が挙げられる。
 前述の通り葬送文化は死を社会に認知し、時間をかけて受け入れるプロセスであり、そのため日本でも葬儀は公事として村や町を巻き込んだ公的なものとして行われていた。ここでのメインは村や町の皆で死者を墓へ送り出す葬列であった。しかし戦後、新生活運動の始まりや産業化に伴い、これまでの「古い」葬送文化への疑問が投げかけられ、葬儀の簡素化、産業化も進んだ。すなわち、葬儀が共同体内互助型からアウトソーシング型へ、そして家族でさえも「お客様」である専門業者型へと移り変わった。近年の簡素化の形としては、儀式を伴わない直葬や送骨の拡大が見られる。
 その一方で、「きちんと弔えなかった」と後悔を感じる人が半数程度いるという調査結果もあり、長期的に見た場合に葬儀の簡素化が最良の選択肢であるのかは考慮の余地がある。また、身内に対しては90%が儀式を伴った葬儀をしたいと応えたという調査結果もあり、身近な人々を葬儀によって送りたいというニーズは強くある。
 COVID-19パンデミックの影響により、葬儀の規模縮小を迫られた結果、家族葬や一日葬、直葬の割合が増加し、葬儀参列者の減少も見られたほか、十分な葬儀ができなかったという遺族の後悔も多いとされている。しかしこのような「コロナによる簡素化」は首都圏で見られる一方、京阪神では見られなかった。ここには、首都圏と京阪神での伝統的習俗への意識の差が影響していると考えられる。加えて、葬儀業への影響としては、売上高だけでなく、2020年に購入された墓において、樹木葬が一般墓を上回るという現象もみられた。理由としては手間や価格、子供への負担の軽減などが挙げられ、パンデミックの影響というより経済状況の問題が影響している可能性もある。しかし古来の日本に存在した「先祖になるという意識」より「自然に還る」、の方が現代の人の心に響くのでは、とも考えられる。
 COVID-19パンデミックによる死者数は東日本大震災の犠牲者数を優に超えている。しかし、パンデミックによる死者には目が向けられていない。宗教界ではコロナ禍での死者へ目を向けようという動きはあるものの、国や自治体による追悼式は行われていない。「死者への責任を持つ生者」である我々は、果たしてこのままでよいのだろうか。

◀ 前のページに戻る