パンデミックの社会課題解決に向けた学際研究

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パンデミックの社会課題解決に向けた学際研究

【アーカイブ】コロナとこれからの社会を広く深く考える会 #4

「COVID-19から明らかになった総合知の重要性と東北大学の役割 ―コロナ時代の学問と大学はどうあるべきかー」
開催日時 2023年4月19日(水) 18:00~20:30
話題提供① 「「COVID-19から明らかになった総合知の重要性と東北大学の役割 ~コロナ時代の学問と大学はどうあるべきか」 

金井 浩(東北大学大学院工学研究科電子工学専攻 教授 / 東北大学社会にインパクトのある研究G0「社会の枢要に資する大学」プロジェクトリーダー)

 社会の枢要に資する大学の役割について議論が行われている。そこで挙げられたのは、持続可能で心豊かな未来社会の実現には大学教育を深化させ、自立的に思考する人材を増やすことが必要であること、そしてそのために大学は専門教育と教養教育の位置づけを明確化するべきであるということである。
 戦後の過度な競争社会や成果主義、私利優先の市場経済原理の中で、新自由主義に基づく一連の大学改革は社会問題の解決をより困難にした。その結果、多くの学生は効率主義や自己中心主義の中で育ち、無気力で想像力を欠き、漠とした不安を抱えるようになったと考えられている。学部や大学院で課題解決能力を育て、自身の専門性の範囲で設定した目標を解決することに重点をおく専門教育は、精神面を含めた課題解決の推進能力は鍛えられる一方、社会課題解決には不十分である。
そこで、これまで軽視されてきた教養教育が必要になる。教養教育では、社会課題の掘り起こし能力、礎の形成、人間形成という3点に重点が置かれる。すなわち、従来の専門教育で行われてきた研究を通じての課題解決能力だけでなく、現代社会の課題を掘り起し発見する能力、市場経済原理から離れた社会のあるべき理想の追求、価値創造に必要となる社会と連携したシナリオ作り、そして人間とは何であるべきかといった人間の根底への問い掛けによる人としての気概の育成を教養教育が担うことで、社会課題の解決のみならず人類の幸福の実現という理想に至ると期待される。
 1991年に行われた大学設置基準の大綱化により、多くの大学で教養部が廃止されるなど、日本はこれまで教養教育を軽視してきた。しかし、専門教育と教養教育は役に立つ位相が異なる。専門教育は秩序の時代には有効である一方、狭い専門性では危機対応能力が弱い。しかし、教養教育は平穏な日常では役に立たないが、何らかの形で社会の前提が崩れた際、先例にはない深い洞察や非定型的な判断ができる人を育てる意味を持つ。そして今求められる総合知は、両者のボトムアップの形でしか育たない。これらを踏まえ、大学教育としては学部間の交流を進める仕組みづくりが必要となる。 
 東北大学で実施されているその一例として、工学部での必修科目として「工学倫理」の導入が挙げられる。これは効率重視でなく、知識の価値や面白さに気づく、賢くなることを目指す中で、学生各自が総合知を吸収する動機を養うものである。その前提の上で、学生は前述した社会課題の掘り起こし能力、礎の形成、人間形成という3点から教養を習得する。
 我々は数多くの社会課題に直面している。これらの問題が解決に至らない原因と大学が抱える課題として、まず学問の細分化が挙げられる。学問の細分化や高度な専門分化により、大学で課題解決の全体像を把握せずに研究が行われるようになった。その結果、研究者は自身が開発した技術の適用を探索するのみで、実際の状況に関して広く最適な方法を選択していないのが現状である。また、研究で優れた大学がいい大学という風評により、実際には「道徳と知性のバランスの取れた教養教育を行う学部に大学院が附属していること」が大学のあるべき姿であるにもかかわらず、大学教育が専門的なものだけで終始することが当然とされてしまったことも問題点である。
 以上を踏まえ、大学教育を深化させ、自律的に思考する賢人を増やすこと、そしてそのための専門教育と教養教育の位置づけを明確化することが、今求められている大学の役割であり、それを十分に果たすことが持続可能で心豊かな未来社会の実現につながるだろう。

話題提供② 「COVID-19と科学技術」 

押谷 仁(東北大学大学院医学系研究科微生物学分野 教授)

 COVID-19パンデミックが発生する前、科学技術が発達した現代社会ではパンデミックのような社会問題は科学技術が解決するだろうと期待されていた。しかし、オミクロン株の登場によりワクチンの効果が大きく低下したことや、多数の薬剤がCOVID-19の治療薬として期待されながらそのほとんどが臨床試験で有効性が確認されなかったことなど、科学技術は当初期待されていたほど問題を解決したわけではなかった。
 また、今回のパンデミックでは死亡者の推計や政策評価に数理モデルが多用された。本来科学のエビデンスは同じ条件下で実験を繰り返し同じ結果が出るという再現性を重要視する。しかし、実際の社会で起こる現象は再現することができないので、数理モデルを構築して仮想のシミュレーションを繰り返すしか方法がない。しかし数理モデルに使用されるパラメーターなどの前提条件が実社会に即している保証はなく、加えて数理モデルでは伝播の起こりやすさや人々の行動などは均一であると仮定しているものが多いが、COVID-19の二次感染には相当の異質性があることがわかっているが、そういったことは必ずしも現在の数理モデルでは十分に考慮されていない。
  21世紀を生きる我々人類はCOVID-19パンデミックに限らず地球温暖化や食糧問題など多くの危機的な社会問題を抱えている。多くの人々はこれらの問題を、科学技術が何とかしてくれるに違いないと漠然と考えている。しかし、80億人もの人口を抱えた地球は既に限界に達しており、科学技術による解決には限界があると考えるべきであろう。そしてその科学技術の限界が短期間で明らかになったのが今回のCOVID-19パンデミックだったのではないだろうか。これらの科学技術では解決できない問題をどう考えるのか、我々は真剣に議論していかなければならない。
 このような正解のない問題を考えるためにはいわゆる「総合知」が必要である。特に自然科学だけではなく人文・社会学の考え方を取り込んでいくことが求められる。例えば、明治からの日本の近代化やその弊害、日本と西洋のものの見方の違いなどに、今回のCOVID-19のパンデミックの問題を理解するヒントを見つけ出すことができるのではないだろうか。

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